ゆるやかな絶望
ここ最近ゆるい絶望に駆られることが多いです。毎日キツかった。自分の将来が想像できず、できたとしても非常にしょうもないビジョンしか思い浮かべられず、生への不安から一転して死への安心感が加速していく感覚です。特に接客をしている時に「どうやって死のうか」ということばかり考えてしまいます。
当たり前のように結婚願望を持って、今の自分を大切にできていて、充実が目に見えて分かるような人と接していると、自分がいかに一般的な価値観や自己愛もいうものを持たずに生まれてきたか、痛切に感じます。
私は反出生主義で、かつ自分の性別や性役割が大嫌いなのですが、結婚や一応身体的性差を利用する妊娠を、存在して当たり前のものとして、自分の中で上手く理論で正当化できないことが非常に苦しいです。(これらをしてる人たちが同じ人類に思えないんです)本能だよと言って片付けられるととても困ってしまいます。
自分の身体に対して勝手に性的意味を外野から与えられた経験をしていたり、異性に好意を向けられることがそこそこ多く、同時に性役割をこなさないと人として認めて貰えないといった不安。子宮や出産機能を選択したわけではないのに持って生まれてしまったことへの嫌悪など。いろんな経験が今の私の価値観を形作っています。今の自分の性別や身体、恋愛行為/性行為といったものへの嫌悪感が非常に強く、同時に勝手に意味を与えてこようとしたり、裏に性交渉を無理やり含んだ求愛をしてくる異性がとことん苦手です。私のことを異性として強く意識せずに、恋愛感情を持たず接してくれる人や中性的な人対しては本当に安心できます。それがなかなか居ないので今しんどいんですが・・・。はあ死にたい
非常に気分がブルーなので、先日ペットショップで見かけた可愛い猫ちゃんの写真を置いておきます。
可愛い・・・私も猫になりたい。